七、伝説に残る変態賭博物語

変態賭博は必ずしも賽コロを用ゐるものに限られた訳では無い。メクリにも花骨牌にも、更に賽引や波形(寛永通宝の表裏を云ふ)なども伴うてゐる。併しながら是等のものは詐欺が単純であるだけに、記事としては興味が薄いので多く言ふことを避けたのである。例へば花骨牌にせよ詐欺と云へば、捲きつけ(自分なり又は共謀者に役札などを配ること)差し札(一人七枚を定めとする札を態と八枚配り、よい札を取つて一札を残りの札の中へ差し入れること)ナメ抜き(最終の札を巧みに抜きとること)位の方法にしか過ぎぬのである。そして是等は渡世人に言はせると、お茶ノ子であるとて重きを置いてゐぬやうである。

更に此の種のものとして電車番号の奇数と偶数で勝負することを始めとして、リ-グ戦、総選挙、相撲の勝負、競馬、闘鷄、なんこ、柿の種、活版職工の遣る活字握りなどの変態物もあるが、是等は誰でも知つてゐるので省略した。その埋め合せとして昔物語ではあるが、変態賭博の一挿話を記すとする。

購博といへば今では身分の軽い者ばかりが遣ることになつてゐるが、大昔では決して左様ではなく、将軍大名までが、此の道に浮き身を宴したものである。或るやむこどなきお方が、妃の宮と博奕をなされ、主が勝てば若き女を、妃が勝てば若き男を進ぜむと約束したところ、妃が勝つて若き男を得た と云ふことが物の本に記してあるが、これは雲深きところのありのすさびであらうから詳細は割愛するが、これに似たやうな事が鎌倉幕府の執権職であった北条時頼にもあつた。新編鎌倉志巻七に、鎌倉米町延命寺の本堂に立像の地蔵尊が安置してある。俗に裸地蔵とも前出地蔵とも称してゐる。裸形 であつて双六盤を踏まへ厨子に入れ衣を着せてあるが、参詣人が望めば裸にして拝ませる。普通の地蔵尊に女根を作りつけたものである。縁起によると北条時頼がその夫人と双六の勝負を争ひ、負けた者は素ッ裸にならうと賭けたところ、如何なることにや夫人の負けとなり、時頼から裸になれと言は れた。夫人は約束とは云ひ身分ある女性とてあられもない、裸になれず、困つてしまひ、日頃信ずる地蔵尊を心中にて念じたところ、不思議に地蔵が裸体の女性となって現はれ、夫人を救つたと伝へてゐる。併し此の縁起が何処まで真実であるかは保証の限りで無いが、裸になることを賭けたとは、如何にも有閑階級の思ひつきさうなことで興味が多い。昔の戦争には陣中で博奕が猖んに行はれ、武士たちが甲や鐙を賭けて勝負を争ひ、負けた者は素肌のため戦争に出られぬと云ふやうな醜態も珍しくは無かつた。殊に足利尊氏の家来で一方の旗頭であつた大将株が、陣中で甥と博奕のことから喧嘩となり、伯父と甥が刺し違へて死に、家来同士が双方に分れて刄傷し、多数の死者を出したことが太平記に載せてある。是等は賭博の有毒の尤なるものである。

私に斯うした話を聞かせてくれた多くの旅人は、既に並木の肥となつてしまつたことと思ふ。それと共に斯うした話も今では昔話の一節となってしまつて、現在からは遠ざかつてゐるに相違ないが、私としては少年期の追憶として懐しい一つである。