四、技術に由る詐欺賭博の種々相

旅人にでもなる程の博奕打ちなら、ボン胡蓙の上の作法や駈引なら、表裏とも一通りは心得てゐる。中ボンをさせれば川流れ(混雑するので所有者不明の金が出来ることがある)を拾ふことに如才は無いし、坪振りをさせれば偽賽を遣ふことに抜目は無い。それで土地の堅気の商人や、金持の小且那などをギル(詐欺博奕で金を捲きあげること)には、貸元やその乾児が遣るのでは気が差すので、それには旅人を商人などに扮装させてギッテしまふのである。そして詐欺賭博には、技術によるものと、賽コロに仕掛けのあるものと、場所に用意のあるものとの三大区別がある。ここには先づ第一の博徒の修練の技術によるものを事げるとする。

カク振りの手練

何事でも職業となれば、仇や愚かには出来ぬもので、博奕の如き法令で禁じた?程にも、亦それだけの修業を要するものであるが、その中でも一番六ケしいのは此のカク振りと云ふ技術である。これは賽コロを坪皿(本格は小さい笊を紙で張つたもの、略式なのは湯呑茶碗の縁ヘ紙を巻いたもの)ヘ投げ込むとき、その賽ノ目の表を眼早にチラリと見て、その裏の目を伏せて出すと云ふ技術なのである。賽ノ目は誰でも知つてゐるやうに、一ノ裏は六、二ノ裏は五、三ノ裏は四であつて、賽コロ一つで勝負するのが樗蒲一、二つが丁半、三つが狐、四つがヨイドと云ふやうになつてゐるが、その表を見て裏を振るのであるから、余程その技倆が長じてゐなければ出来ぬ離れ業である。そして是れが修業は先づ瀬戸焼の茶碗を持つて、板の上ヘ伏せることを始めとし、これを二年三年と毎日幾百回となく繰返して稽古するうちに手首の訓子が馴れて来て、うまい工合に伏せられるやうになる。さうなると今度は平な石の上ヘ茶碗を伏せる稽古に取りかかる。最初のうちは毎日幾つとなく茶碗を割つてしまふが、二年三年と遣つてゐるうちに茶碗を割らぬやうになる。その次は賽コロを手で掴み立つたままで地ベたヘ叩きつける稽古になる。これも初めのうちは賽コロが散らばつてしまふが段々上手になると二ッなり三ッなりの賽コロが地ベたヘ吸ひつくやうに正しく置かれるやうになる。斯うなれば先づ一人前のカク振りで十番のうち九番までは、思ふ目を出すことが出来るのである。昔、鎮西八郎為朝は左の手が長かつたので強弓を引き、弓勢も強かつたと云ふが、カク振りの手首は恐ろしいもので、多年の稽古で常人よりは少し長くなつてゐるやうにさヘ思はれる。同じ旅人でも斯うした手合が貸元に重宝がられ、多くの泡く銭を貰ふことは勿論である。

置き坪に縁かけ

白賽(これは真正なもので、偽賽に対して斯く云ふ)を遣る詐欺賭博も四十八通りあるなどと彼等は言うてゐるが、これは誇張であつて左様に沢山種類のあるものでは無い。その中でも置き坪や縁かけは極めて幼稚なもので、多くはホンの素人が引ッかかる方法である。置き坪とは廻り坪の場合などに、手早く前の人が振つたままの賽コロヘ坪皿を伏せかけるものであるが、初心の者は往々にして此の手を喰はされるものである。縁かけとは賽づくり(此の事は後で云ふ)したやつを、坪皿の縁ヘかけて動かぬやうに、然もそれを機敏に置く方法であつて、これも詐欺賭博としては稚拙なものであるが、それでも素人には容易に看破することの出来ぬものである。

猶この機会に賽づくりのことや、偽賽を遣つたことの発覚した場合の制裁等を述ベて置くが、賽づくりとは先づ博奕が始まる折に、坪振りが二ッ粒の丁半なれば、一天地六北四南三の賽ノ目を、上を一ぞろ向う四ノ二に前五三と置き並ベ、右手に坪皿を低く持ち、左手に賽二つを高く持ち、その賽を四五寸ほど離して別々に坪皿に入れ、自分の坐つてゐる前―畳の目数にして五十目ほどの所ヘ伏せるのが常例となつてゐる。これは御祝儀振りとも云ふベきものである。これが済んで愈々勝負に入り、廻り坪となると自分の好んでゐる数に賽ノ目を並ベて伏せるのを賽づくりと称してゐる。そして勝負事には甚しく迷信が伴ふもので、忌み語とか為てはならぬ動作などが沢山ある。殊に賽ノ目の数には好き嫌ひが多くあつて、私の知つてゐた清吉といふ老人は、樗蒲一が上手であつたが、生涯五ノ目より外に張らなかつたので、綽名を五清さんと言はれてゐた。更に偽賽を遣つたことが発覚すると、その者は簀巻にされて川ヘ投げ込まれるのが原則としてあつたが、さうした惨酷の制裁は曾て見たことが無く、概して大勢で殴る蹴るした上に、勝つただけの金を取りあげる程度で済むだものである。猶この場合における繁雑なる手続きもあるが、余り管々しくなるので省略する。

明け坪の早業

これも駆け出しの素人が引ッかかる詐欺博奕であるが、その方法は、賽コロを用ゐる賭博は、坪皿のうちで賽コロが重なつたり、目のところヘ他の賽コロの角が嵌つたりすることがあるので、愈々勝負となるときは、坪皿を前後三回押したり引いたりするのを常例とする。俗にこれを坪ヘ触ると云うてゐる。然るに此の常例を逆に利用して、坪を伏せるなり直ぐに坪ヘ触り、前ヘ後ヘと押引するうちに坪皿をそつと明けて賽ノ目を偸み見ることがある。これが即ち明け坪なるものであ る。これも上手な者になると、実に瞬間のうちに巧妙に遣るので、看破することが出来ずして喰はされる。現今でも下世話に余り馬鹿馬鹿しい目に逢つたことを、明け坪を喰つたやうだと云つてゐるが、誠に馬鹿気きつたことで、他人には話もならぬほどのものである。