三、旅人を利用する貸元の策略

旅人として辛い悲しいことは尠くないが、その中でも喧嘩の手伝や、キリ(賭場で貸した金)の催足、詐欺博奕で客人の金を取ることなどである。いづれ旅に出かける程であるから、遠島船を腰に提げた生命知らずの者ではあるが、さて喧嘩となつて白刄の間に体を張ることは決して好い心持のものでは無い。昔は旅人が貸元を訪ね、「私は少し急がしい(人殺しで探索が厳しい意)体です」と云ふと、夜分になると旅人の臥床の周りを、乾児が三度づつ廻つて用心してくれたもの、それを三度とも「御苦労さんで御座んす」と挨拶しないやうなれば、無作法だとて一晩で追ひ払はれてしまふ。本当に体の急がしい旅人は、着衣のまま草鞋を穿き、刀を抱いて寝た位のものである。宿場女郎が旅人を情夫に持ち、果敢ない逢ふ瀬を楽しみながらも「とろとろと眠りや起され主や兇状持ち、お改めでも無けりやよい」と実状を悲しんだものである。鼠の走る音にも眼を覚したのが兇状持の習ひであつた。賭場の貸金は別に判証文した訳ではなし、それかと言つて確かな請人を立てたものでも無いから、債権としては此の上も無い不確実のものではあるが、さればとて取り立てなければ貸元は破産してしまふ。然るに賭場ヘ往つてキリを打つて来る程の人物だから、催足したつて請求したとて容易に返金するものでは無い。斯うした場合に旅人を遣ふのであるが、此のキリが取れぬやうなれば、旅人は世話になつてゐる貸元の許ヘは帰つて来られないので、それこそ金を返さなければ、腕でも脛でも取つて来る意気組で出かけたものである。ところが案に相違して先方の腕ッぶしが強く、反対に旅人が取つちめられることもある。斯うなれば旅人は尻に帆をかけるより外に方法が無いのである。旅人の身の上を歌つた大津絵節の文句がある。俚謡のこととて調ベは低いが、よく彼等の心情を尽してゐる。HHく「ふとした事から吾が土地よ離れ、脚絆、甲かけ菅の笠、長い松原ただ一人、松の古木に腰をかけ、身の行末を思ふとき、笠にバラリと障りしは、雨かと思ヘば松の露、又もや袖にと障りしは、露かと思へば我が涙、兇状持つ身は皆な斯うか、情けなや、渡る世間に鬼はなし、やがて見返す人の顔」私の知つてゐる多くの旅人は、多感であり、多情であり、そしてその悉くが涙もろい人々であつた。旅人と宿場女郎とのローマンス、それは極めて在り触れた事ではあるが、その結果は涙なくしては聴かれぬやうな物語が多かつた。籠の鳥と兇状持ち、その境遇の似たところが常に両者を固く結びつける紐帯であつた。「負けて裸でゐるとは知らず、待人かけたり畳算」と云ふのが男の嘆声であつて、「どうせ斯うなりや二足の草鞋、妾が穿いたり穿かせたり」と云ふのが女の心意気であつた。駆落と心中、さうした騒ぎは此の関係者に有りがちのことであつた。