二、急がしい体の旅人の境涯

貸元となればその貫禄によつて、五十人百人の乾児を有つてゐるが、さうなると旅人と称する渡世人が毎日のやうに一宿一飯の交際を乞ひに遣つて来る。全体、旅人なるものは故郷でボッの上で人殺しをしたとか、又は縄張り争ひをして大喧嘩したとかで、その筋の詮議が厳しくッて故郷に居ることが出来ず、そこで長い草鞋を穿くと云ふのがお定りであつて、是等を兇状持と称してゐるが、いづれ公札の裏の博奕打にでもならうと云ふヤクザ者とて、親分の金を遣ひ込むとか、又は女のしくじりなどで国を売る者も少くない。

斯うした旅人は、十人が十人まで殆んど言ひ合せたやうに―彼等の職程に通有した身拵ヘで遣つて来る。年齢と云ヘば三十前後の血気盛り、幕末の頃までは五分月代にハケ先きを長目にして少し横に曲げ、紬の藍の小慶弁の袷に博多の帯を貝の口に結び三尺の上帯を締めて一本刀、尻を深くからげて山つきの脚絆に切り緒の草鞋、風合羽に菅の三度笠、羽織は態と着ずに風呂敷に包み、それを肩ヘ振分荷にして来るのが通例であつた。

博徒仲間の交際には、それぞれ厳しい掟があつた。それが大親分と云はれた大前田英五郎とか、相ノ川の金太郎とか云はれる者なら、旅へ出るにも三人五人の乾児を供につれて歩き、往く先々の親分達との交際も、名が通つてゐるだけに面倒な事もなく、草鞋銭として一日か二日、客人の為めに賭場を開き、そのテラ銭を贈るのであるから二十両とか一二十両とか、纏つた銭を貰つて往くのであるが、俗に三下奴と云はれる軽い乾児達の旅となると、一宿一飯の恵みに預り、その外に幾らかの草鞋銭を貰つて往くには、決して容易な事では無かつたのである。私の生家の近くに代貸元の小親分が住んでゐたので、毎日のやうに訪ねて来る旅人の作法や口上を、子供の頃から幾十回となく見たり聞いたりしてゐたので、その記憶(勿論、多くの誤りもあらうが)を辿つて略述する。私がここに記す変態賭博の話は、斯うして諸国から遣つて来た旅人から聴いたものであるから、その順序として附載する。

故郷遠き姿した旅人も、交際をもとめる親分の家の門に立つと、先づからげた尻を下し、羽織を着し、手荷物は合羽と共に笠の中ヘ入れて門口に置き、静に戸を排けて小腰をかがめながら「誰々親分さんのお住居は、此方で御座んすか」と物和かに訊ねる。これが口上の口切りである。猶ここに注意して置くが、博徒仲間の不文法として、口上の挨拶に絶句することは大禁物であつて、若し左様なことがあれば草鞋銭は愚のこと、一宿一飯にもありつけぬ掟となつてゐる。殊にそればかりで無く、口上のうちで万一にも相手方から揚げ足を取られるか、突ッ込まれるやうなことがあれば、これも飯の食ひあげとなつてしまふのであるから、旅人の口上なるものは、彼等にとつては栄辱の岐れるところとて、一生懸命である。それ故に訪ねる親分の名を知らぬか、又は忘れるかして、ただ親分さんのお住居は、何て訊かうものなら、相手が意地悪だと「ただ親分ぢや分らねえ。鳶人足の親分もあれば、掏摸の親分もある。出直して来い」などと揚げ足を取られるやうなら、もう草鞋銭にはならぬ。それ故に微塵の隙も無いやうにせねばならぬ。それで門口の挨拶が無事に済み、親分が在宅ゆゑ会ふから通れとなると、ここで草鞋をぬぎ洗足し、笠や荷物を内ヘ入れ案内につれて親分の居間に往く。敷居の外で口上を述ベようとすると、親分の方から、「そこでは挨拶が出来ねえ。座敷ヘ入るがいい」と語がかかり、そこで羽織の紐を解き、両手の母指と人指との間に狹み、一礼した上で口上を述ベる。若し此の場合に同じ旅人の先着者があるか、又はその家の乾児がゐれば、先づその者との間に挨拶の交換をしなければならぬ。見本として旅人同士の挨拶を記すとする。

先づ後から来た旅人が、先着の旅人に向つて「お控ヘ(亭主役になつてくれの意)ください」と語をかけると、その者は「自分、旅の者に御座んす、お控ヘください」と返す。「旅は同旅に御座んす、平にお控ヘください」「どう仕りまして、自分、初旅に御座んす、お控ヘください」と、お互ひに果しなく譲り合つてゐる。それを親分が見て先着の旅人に「それでは仁義にならぬ、先客のことだ控ヘたらよからう」と声をかけると、「失礼では御座んすが、当家、親分さんのお話により、控ヘます」と、これで主客が定まり、新しい旅人が口上を述ベる。

「お控ヘ下すつて有難う御座んす。当家親分さんで御免なさんし(親分の女房がその場合に居れば、当家お姉さんで御免なさんしと言ひ添ヘる)並み居るお友達さんで御免なさんし、斯やう居付(入口などで草鞋穿のままなれば、斯やう穿付ましてと云ふ)ましての御仁義は失礼さんに御座んす、御免しなさんし。手前生国の儀は上野国佐位郡国定村、姓名の儀は五浦二蔵と申します。渡世の儀に就きましては、同所の長岡忠次の若い者で御座んす。以降お見知り置かれまして、御別懇にお願ひ申し上げます」と云ふやうなことを、渾身の勇を舌端にあつめ滔々として述ベるのである。これに対する先客の挨拶は大同小異であり、それから乾児や親分との口上が済むと、旅人はお土産の印だとて手拭を一筋出す。それからは皆な寛いで世間話などして就褥するが、若し此の折に親分の方で、旅人を要するやうな事件があれば、当分遊んでゆけと引き留めるが、さうでなければ翌朝になると、旅人の貫禄により一円なり二円なりの草鞋銭を与ヘ、前日貰つた土産の手拭を返し、更に次に訪ねるベき親分の名所を教ヘて、立たせてやるのが普通となつてゐる。