三、最も原始的なる入浴法

日本人は、産れると直ぐに産湯を遣ひ、死ねば間もなく湯灌をする。

此の意味から云へば、日本人は産れて死ぬまで浴湯が附き沿うてゐるとも言へるのである。それ故に我国の上下とも入浴を好み、都会人は毎日のやうに入り、草深い片田舎の人でも三日か四日目には浴することになつてゐる。これを生涯のうちに、数ふるほどしか入浴せぬ欧米人(その多くは冷水で身体を拭くのである)や、支那人などに較ベると、殆ど比較にならぬほどの好浴入種と云ふことがいはれるのである。

されば皇室におかせられても、皇子の御産湯に就いては大昔から厳かなる儀式が定めてあつた。これは神代から存してゐたものである。古書に、天孫が御降臨あらせられたときに、湯坐役人を任ぜられたとあるのは、即ち此のことを云うたものである。

これほどの好浴人種ではあるけれども、遠い大昔の入浴の方法などに就いては、今から詳しく知ることの出来ぬのは遺憾である。察するに天然の温泉を利用するか、それでなければ簡単な方法で済してゐたことと思ふ。

そして、最も原始的の入浴法と思はれるのは、手軽な室(我国の風呂と云ふ語は、室の転化であつて、美作国では今に室の意味に風呂の語を用ゐてゐると聞いてゐる)を造り、その中へ手頃の丸石数 十個を並ベ、その丸石の上で熾んに火を焚き、これを熱し、熱し切つた所へ清水をかけると蒸気が出来るので、その湯気で身体を蒸し垢を去ることであつた。

これは後世の蒸し風呂の起りとなつたものであつて、古く且つ広く行はれてゐたものである。佐渡の見立小浦と云ふ漁村には、今に天下一品の温浴法が行はれてゐる。

それは熱湯を沸し、その湯を荒菰に浸して身体に巻きつけて垢を取るのであるが、何を言ふにも熱湯を浴びるのと同じやうなので、湯傷する者が頗る多く、それが為めに同地の俗謠に、

「見立小浦に禿なら九九、百にならうとすりや一人死ぬ」

と、云ふのがある。即ち、湯傷の禿を持つてゐる者が九十九人は絶えぬが、それが百人になる頃には人死ぬと云ふ意味である。これなども、原始的温浴の一方法が稀に残つたものと見ることが出来るのである。