昔話に、或る皮肉の大名が、絵師に、大黒天が風呂に入つてゐる所を書けと命じた。大名の考へでは、我国の大黒天の神像は、木に彫つたものでも絵に書いたものでも、必ず頭巾を被つてゐる。
いくら頭巾が好きな大黒天でも、入浴するときだけは、これを脱ぐだらう。さうすれば大黒天の天窓が判るだらうと云ふので、この難題を持ち出したのであるが、これには絵師も閉口してしまつて、 大黒天が頭巾を脱がぬ前に、自分が兜を脱いで謝つたと云ふことである。
此の大黒天は印度の神であるが、これに習合された我国の大国主命は、温泉が気を養ひ、病を治すに効能のあることを、人間にすすめた神だと云はれてゐて、今に温泉社の祭神と云へば、此の神と少彦名命の二柱に限られてゐる有様である。
日本人が潔癖とまで思はれるほどに、常に身体を水で清め、湯で洗ふ国民性を養ふに至つたに就いては、我国の古い宗教であつた神道の教へに負ふ所が多いのである。
即ち身契と云ふことが、殊に神道において大切とせられた為めに、国民は神を祭る折には、先づ何事よりも水か湯で身体を清あてから、祭にとりかかる習慣になつてゐたので、これ我が国民をして潔癖に導き、併せて入浴好きにしたのである。
今に修験者が冷水を浴び、又は神社に湯立ノ神事にて、熱湯を笹の葉で掬ひあげて、身にかけることの行はれるのは、何れも古い身契の面影を残したものである。尚この序に記して置くが、古くはやむごとなき御方は申すまでもなく、神に仕へる人々は、入浴と云ふものの決して全身を湯槽に浸すことなく、掛け湯と称して盥に湯を湛へ、浴衣―(やむごとなき御方の召すものは、天ノ羽衣と称して ゐた)を着たまま下半身を湯に浸し、上半身は浴衣の上から掛け湯で洗はれたものである。
これは全身を湯槽に入れると自分の汚れで自分を汚し、本当に、清浄になれぬからと云ふ信仰から来てゐたのである。従つて大昔にあつては、誰でも彼でも浴衣を着て入浴したもので、裸体で湯槽へ 入る習慣は、ここ三百年ばかりのことである。