昔の人は、夫婦の縁は神が結ぶものであつて、人が結ぶのでは無いと堅く信じてゐた。
俚諺に「縁は異なもの」とあるのは、その信仰の一面を道破してゐる。それ故に此の神の結んでくれた夫婦の縁を、幾久しく持ち続けようとして、種々なることが発明され工夫され、現代から言ふと、実に滑稽だと思はれるものさへ尠くない。
婚礼の夜に、花嫁の一行が燈して来た提灯の火と、婿方から出迎へに往つた提灯の火とを一緒にして、此の火で新しい蝋燭に点じて、三昼夜を消さずに置くとか、又は花婿の穿いて来た履を嫁の両親が抱いて寝ると、夫婦仲が良いとて、その通りしたとか云ふ―随分常識からは飛び離れた作法が、然も真面目に行はれてゐたのである。
そして、一段と奇披なものになると、婚礼の夜に新夫婦を縛りつけ、友自髪の末までも放れるなと祝ふ土地がある。羽前の山形市では、新夫婦の床入の折に、媒人が「お縛り」と称して、帯または襷で夜具の上から結びつける習俗があつた。
福島県耶麻郡木幡村大字木幡でも、婚礼が終り花嫁花婿が寝所に入ると、媒人が来て二人の身体を細紐で結びつけ、そして媒人は終夜隣室に居守り、翌朝になつても、二人が前夜のままになつてゐるのを見届けて始めて安心するさうだ。それから長野県南安曇郡地方の村々では、結婚が済むと、招待されてゐた若者達が時刻を見計ひ、座敷の燈を消し、婿どんを抱きあげて嫁さんの部屋に担ぎ込み(同県の川中島辺では、嫁婿を丸裸にして寝所に入れる)堅く襖を鎖してから、又々酒宴を遣り直したさうである。
新潟県長岡市附近の村落では、三々九度の盃が終ると、長野県のそれのやうに、婿を嫁の部屋へ担ぎ込み、立会の者が「目出たく送り込みを済ました」とて、以前にも増した酒宴を張つたと云ふ。然るに、これとは反対に、婚礼の夜に新夫婦に合衾させぬ地方も尠からず存してゐる。
奥州の秋田市附近では、昔は媒人が、婚礼の夜から三日間その家に泊り、婿と嫁の間に寝て会はさなかつたと云ふことである。
三州の長篠町辺でも、婚礼の晩だけはお蛭子様に上げるとて、新夫婦は別々の部屋に臥す習慣があつた。
沖縄の本島では、婚礼が済むと、婿は直ちに友人と携へて遊廓へ行き、両三日間流連することになつてゐた。それではかうした習慣が、何故に起つたかと云ふに、大昔は初夜権を有してゐた者があつたので、その者が権利を行ふ間だけ婿は避けてゐなければならなかつたので、遂にかうした習慣となつたのだと云はれてゐる。