一一、婚礼の式場で行はれる受胎の咒術

婚姻の目的が子孫の繁昌と、家運の隆盛とにあるとすれば、花嫁が一日も早く受胎するやう祈るのは、人情の然らしむるところである。

従つて此の受胎を促進する方法が色々と講じられてゐる。古く旧正月十五日の夜に、嫁の尻打と称して、子供達が往来の婦人の臀部を打って祝儀としたのもそれである。更に婚礼に赴く途中で、花婿や花嫁に水祝ひとて、天窓から水を浴せたのも亦その意味であつた。

即ち女子の通経を、一に火の物とも云うてゐたので、水を懸けて火を消す―通経が止まれば姙娠すると祝福したものである。

然るに地方により、一段と露骨な受胎の式が行はれてゐた。群馬県邑楽郡佐貫村では、三々九度の盃が済むと、招待された村内の若者は、花嫁の面前で種々なる祝ひ事をなし、終りに草刈籠で花嫁の頭上を掩ひ、次に千本杵を待つた若者が二人出て、交互に「小の子合女子三人、男子又三人、都合あ はせて十三人」と唱へつつ、籠の目へ杵を突き入れると、別に一人の若者が大杵を持ち出て、やがて「孫を儲けろやい」と言つて臼を搗く真似をして式を終る。かなり入念の祝儀である。

相州小田原町でも、昔は取結びの盃が終り、親類一同列座してゐるところへ、一人は摺鉢を、一人は大なる摺小木を携へて出て、新夫婦の面前で拝一拝じ、摺小木で摺鉢を突き破る。これを合図に、「同目出たし目出たし」と言ひ囃し、摺鉢の破片を一つづつ懐中して帰宅する。これは新婚の懐胎を願ふためだと称してゐた。

有名な福井県婦負郡の鵜坂神社の尻たたき祭なども、また一種の受胎の呪術であつて、かうした例は他にも多く存してゐたのである。猶ほ書き落したが、婚礼の夜に若者が石碑や石地蔵を担ぎ込んだり、又は石打と称して同じ若者が、婚家へ猖んに石を投げ込んだのも、また受胎の呪術の意が含まれてゐたのである。我国では石に子を祈ると云ふ俗信は、古くから行はれてゐたのである。