一〇、氏子の嫁に往くのを嫌がる神様

氏子の女が他村へ嫁に往くことを嫌つて、祟りをする氏神様も我国にはあつた。

兵庫県飾磨郡地方では、同郡Y村の者を嫁にすると出世が出来ぬと云ふ。これは同村の氏神が氏子を惜しむためである。神様にしたところが、氏子が減るのは決して良い気持ではあるまいから、惜しむのも道理と思ふが、それにしても、かうした評判を立てられた村の者には気の毒な話である。

東京市内の池袋の氏神に至つては、更に不思議な話が幾つも残つてゐる。そして此のことは、江戸期の随筆に多く載せてあるが、話の筋は池袋生れの女を娶るか、又は下婢として雇ひ入れ、それに主人が手を付ける(手を付けねば何事もない)と忽ら家屋が震動したり、爼板に沢庵漬の大根と庖丁を蝋せたまま、棚の上に揚がつたとか、座敷に置いた行燈が自然に天井裏に引ッ着いてしまつたとか、その他にも、今からは到底信ずることの出来ぬ怪談が様々に伝へられてゐる。その中でも、最も著聞してゐるのは、家の内へ何処からともなく、毎夜のやうに絶えず石を打込むと云ふことで、俗にこれを池袋の石打と称し、同村の氏神が氏子を惜しんで祟るのだと云はれてゐた。

神様も飛んだ悪戯をなさるものであるが、併しその正体は、神様では無くして、女に関係した男の悋気と見るのが正しいやうである。

これとは少し趣きが違ふが、愛媛県久万町を中心とした附近の村村では、古く若者が娘の許へ夜ばひに出かけたことは他国と同じであるが、ただ此の村々の掟として、男に一度(これは厳重に一度と限られてゐる)逢つた娘が姙娠せぬ時は、その娘は氏神様の思召に叶はぬ者として、村内に嫁すこと を許されず、他村へ貰はれて往くことになつてゐた。

娘は男と逢ふ時には、何か証拠となる物を取つて置き、懐胎するとそれを証として妻となる。男は此の場合に、否むことは出来ぬのである。

岐阜県郡上郡の村々でも、昔は、若い男女が私通した折に、女が懐姙すれば、必ず夫婦となることに極まつてゐて、然もさうで無い場合でも、一度夫婦になつた以上は、妻が処女で無かつたと云ふ理由で、離婚することは許されなかつた。蓋し農村にあっては、止むを得ないことであつたに相違な い。