九、花嫁花婿の顔へ鍋墨を塗る

花嫁が婿方へ出かける時にも、種々なる作法があるも、各地を通じて行はれてゐるものは、花嫁の一行を葬列と見做して門火を焚き、白張提灯を用ひ無紋の裃で送ることである。これは一度家を出たら、再び帰らぬと云ふ意味だと称してゐる。

更に花嫁が婚家へ着くと、穿いて来た草履の鼻緒を切つて、屋根へ投上げる土地も方々にある。これも二度と、嫁入の草履は穿かぬと云ふ決心を示したものだと伝へられてゐる。三河の山奥である北設楽郡の村々では、花嫁の一行のうちに鉄砲打がゐて、三丁か五丁歩く毎に、轟然と発砲しながら進むのを常とする。土地の者に聞くと、花嫁に狐が憑くことがあるので、それを脅すために発砲するのだと云つてゐるが、これはそんな簡単な問題では無くして、古代人が邪視と云ふことを極端にまで恐れた結果なのである。花嫁が綿帽子を被るのも、これがためで、(後世この綿帽子の簡略化された角隠 しを用ゐるのを、女子の悋気の角を隠すためだなどと云ふのは、附会であつて採るに足らぬ)待女房(九州では嫁紛らかしと云ふ)とて、花嫁と同じやうに仕度した者が、二人も三人も附いて来るのも亦これが為めである。

更に墨塗とて、嫁や婿の顔へ鍋墨を真ッ黒に塗るのもそれであつて、共に邪視を防ぎ紛らかさうとした昔の人の苦心の結果なのである。

福島県伊達郡小手川村大字月館の嫁御の墨塗は最も有名なものであつて、二三の記録にも見えてゐるが、ここには花婿に塗る変つた風俗の一つだけ載せるとする。

それは三重県の宇治山田市では、昔は婚礼の日に花婿の友人が集つて饗応し、夜になると笛太鼓で囃し、婿の顔へ墨を塗り、木製の××を持たせ、女の襠を着せ、友人も墨を塗り婚礼の席に臨んだものである。邪視のことは専門になるので略すが、今でも草深い地方へ往くと、赤児の宮参りに、その額へ紅で犬の字を書く俗信も亦これである。