六、三々九度の盃に血を入れて飲む

新郎新婦の三々九度の盃の儀式に就いても、地方によつて隋分変つたものがあるが、全国を通じて変らぬことは、此の固め盃だけは花嫁が先づ飲んで、それから花婿に差すことである。

これに関しては、昔から故実家の間に種々なる説が行はれてゐるが、これは大昔の我国にあつては、婚姻は悉く婿取式であつて、嫁入式のなかつたことに起因するのである。

即ち古代は身分の高下を問はず、妻帯するには女の方へ婿入したもので、これに反して、女が男の方へ嫁入りせぬのを作法とした。

されば雲の上人でも、毎夜新妻の許へ通ひ、子供を儲けると始めて妻が婿家に入り、夫婦として共同生活を営むのである。婿取式が廃れて、嫁入式となつたのは平安朝の中頃からである。それであるから、新婦が主人として先に飲み、後で新郎が飲むのが古式なのである。そして此の時は冷酒を用ゐることになつてゐて、燗酒は禁じられてゐる。これも大昔は「頂がけりして浮○する」のを本式とし、男女が互ひに頂のところへ手を掛け合ひ、一つの盃から二人して一緒に飲んだものである。

山形県東田川郡大泉村大字大鳥では、婚礼の席で、新郎は左手の中指と薬指との間を針で衝き、数滴の血を絞り出し、新婦は右手の同所を衝き出血させ、それを銚子の酒に注ぎ、混和し、互に飲み合ふのを習とする。猶ほこの村の結婚は、毎年二月と八月の両月に限ると云ふことである。そしてかうした風俗が他地方にもあるかどうか、寡聞の私には如ることが出来ぬのであるが、これは言ふまでもなく頗る原始的のものであつて、血液を生命の源泉と信じてゐた時代に、互ひに生命を飲み合ふと云ふ俗信から発明されたものと思ふ。

更に瀬戸内海の某島では、結婚式の際に、花嫁の月水を酒に和して飲み合ふ習慣があると聞いたことがある、果して事実か否か、更に確めて見たいと思つてゐる。