川柳点の狂句に「媒人の後から出来る面白さ」と云ふのがある。
後世になると、公婚と私通との区別は、媒人の有無と言ふことが標準となつたが、古代にあつては、男女が直接に縁談を取極めたもので、必ずしも媒人を要しなかつたのである。そして此の求婚の方法も、土地によつて種々なるものが工夫されてゐた。
沖縄県の石垣島では、男が結婚を申込み、女が承諾した時には、証拠として自分の月水で染めた手拭を贈ることになってゐたが、これなどは、最も原始的の遺風を残したものである。 福井県三方郡の村々では、旧四月の朔日に、無妻の若者は赤飴を竹の皮に包み、これを己れが欲すする女子に贈り、受納すれば結婚を承諾し、拒絶すれば不服だとしたものである。香川県では、昔は、男が女を聘ふに○を二本結び合せて贈るのを習ひとした。逢ふことを承諾した女は、その結び日を一 つにし、無得心の女は別々に離して返すことになつてゐた。
和歌山県の熊野地方では、近来まで男が女に向け、松葉と小石を贈つてまつにこいしと表示し、又この媒により夫婦となり、生れた子は、男なれば松吉とか、女なればお石とか命名する風習があつた。
私の生れた栃木県足利地方にも、私の子供の頃には、かうした石手紙が若い男女の間に贈答されたと聴いてゐる。
福島県安積郡辺でも、昔は真菰や石菖蒲などの草で「玉結び」と云ふものを作り、それを手紙代りに取遣りしたものである。今日でこそ普通教育が発達して、日常の通信文を書くにも事欠かぬやうになつたけれど、つい百年ばかり前までは、文字を知つてゐる者は、何処の村へ行つても名主か村の坊さんより外に無かつたので、自然にかうした石手紙が発明されたのである。
伊豆の高津島では求婦の印として、男から精巧な刺繍をした鉢巻を贈り、石川県鹿島郡崎山村では、若い娘が結婚したいと思ふ男に、人前も憚らず炒米を贈る習慣もあつた。