三、昔は酒や鹿ノ皮で花嫁を買つた

我国の婚姻は、三々九度の盃で成立するのでは無くして、結納の授受によつて成立するのが昔からの習慣となつてゐる。従つて結納は、どこでも手重のものとして取扱ひ、これに関する種々なる風俗を生むやうになつた。

福島県北会津郡の村々では、結納として、婿方から嫁方へ酒一升を贈る。これを「定め酒」と称し、それを飲むと破約出来ぬことになつてゐる。

長野県佐久郡では、これを「〆酒」と云ひ、同県埴科郡では「袂酒」と称し、新潟県蒲原郡では「口割酒」、栃木県下都賀郡では「口極め酒」、秋田県秋田郡では「樽立」、大分県下毛郡では「済み酒」、沖縄県では「馬手酒」と云ひ、共に此の酒の授受が結納として、婚姻の成立を意味してゐるの である。

そして、斯く各地では酒を結納としたのは単なる縁喜を祝ふばかりでなく、古くは酒を以て花嫁を買つた時代の遺風である。

現に隠岐国では、娘を酒一升に変へたと云ふことは、嫁にやつた意味に用ゐられてゐる。更に奇抜な結納は、鳥取県気高郡の村々に行はれてゐる鹿の耳を贈る習慣である。同地方の口碑によると、大昔には鹿の全皮の幾枚かを結納として遣つたものであるが、それでは運搬や携帯に不便と云ふので、中世の頃に、郡主の許へ全皮を預けて置き、耳に割印を押して証拠となし、その引換券として耳だけを贈つたのが、今に残つてゐるのだと伝へてゐる。

然るに我が古代にあつては、鹿の皮は一種の財物として、恰も後世の貨幣の如く通用してゐたのである。物々交換時代にあつては、鹿の皮は有力なる財物として取扱はれてるたのである。されば鳥取県の此の習俗は、鹿の皮を以て花嫁を買つた売買時代の余風と見るベきである。