昔は女子が一人前の女―即ち妻となり、母となる資格が備はると、それを社会へ標示するに幾つかの方法があつた。
全国的のものとしては、着衣の屑揚を外し、歯を鉄漿で染めること(涅歯を有夫の標識としたのは後世の風)であるが、特殊のものとしては京都の十三詣、奥州で櫛を挿すこと、伊豆の大島では、手拭の鉢巻の結び目を立てるなど、その土地限りの習慣があつた。
殊に北海遭に住むアイヌでは、女子に通経があると、その母親が、先づモールと称する肌着(日本の長襦袢のやうなもので、天窓からすツぽり被つて着て、脚のところで二つほど紐で結ぶ)を着せて、将来連れ添ふ夫以外には、決して肌を見せることなく堅く戒め、更にポンクチ(小さき帯の意)とて、草を六筋に細く編んだものを下前部に締めさせ、良人以外にはこれを解くな(一種の貞操帯で、内地の下紐と同じ)と誨へ、なほ口辺に入墨して成女となつたことを部落へ公示する。
南方の沖縄の島々では、一人前の女となつた印に、左右の手の甲へ入墨して縁談の申込を待つ風習がある。その入墨の模様は島々で異つてゐるが、如何にもグロテスクなもので、内地のものを学んだとは思はれぬ。恐らく南洋系のものでは無いかと考へる。
奈良県の十津川村は、日本一の大村であるが、ここでは婚礼の夜に、花嫁は手甲をかけて三々九度の盃をする。土地の者は、嫁は働かねばならぬのでそれを手甲で示したものであると言つてゐるが、これも昔は手の甲に入墨したのを、時世の変遷からそれを賤むやうになり、これを隠すために手甲をかけたのが、いつか風俗になつたのであらうと考へたい。