江戸吉原角町の中万字屋の二階へ、夜更になると、首へ鍋をかけた花魁の幽霊が出ると云ふ噂は、廓へ足を入れる者なら誰でも知らぬ者はないまでに言ひ囃された。
「見たかい、中万字の幽的―大分評判ぢゃねえか」
「まだお目にはかからねえが、話には聴いてゐる。何でも首に小鍋をかけて、恨めしいとか何とか云つて、出るのださうだが、花魁の幽霊に鍋とは少々色消しだな」
「うらめしよりは強めしの方が似合ふぜ」
「飛んだ口上茶番だぜ。噂によると、その女は遣手婆に責め殺されたのだと云ふぢやねえか」
「何でもその女は、七越とか云ふ花魁で、二三年前までは客取だつたのが、半月ばかり病気で見世を退いてゐたのを、遣手が作病だと云つて責めたのだと聴いたぜ」
「あの遺手と来たら、まるで鬼だからな。つい去年も、花魁一人をブリブリにかけて、責殺したと云ふぢやねえか」
「何だい、そのブリブリと云ふのは」
「知らねえのか。女の子を責める拷問の奥の手さ」
江戸末期における楼主は、その抱へ遊女に対しては、全く生殺与奪の権を握つてゐたのである。遊女が勧めを励まぬと、夏の夜に裸体にし、酒を吹きかけて蚊軍の中に置き、冬の夜に単衣一枚で積雪の上に置くなどは、朝飯前の仕事ほどにしか思うてゐなかつた。少し手酷いのになると、三日も四日も飲食させず、その上に便所の掃除をさせる。更に惨酷のになると、三稜錐で臀を剌す。または素裸にして手足を縛つて梁に吊し、全身に水をかけると、麻縄が縮んで肉体に喰び入り、苦痛が加はる。
殊にブリブリと云ふ責め方は、裸体にした女を縛つて梁に懸け、棒か箒尻で臀部を打ちたたき、若し気絶すると水を顔にかけて蘇生させ、かすかに呼吸を吹き返すのを待つて、また責めることなのである。
かうして責め殺した遊女は、尋常の葬ひをすると化けて出ると云ふ迷信から、屍骸の手足を一緒に縛り、菰に巻いて投げこんだり、埋めることとなつてゐた。
「ブリブリの講釈はそれで判つたが、判らねえのは、首に鍋の一件だ」
「それは七越が食を断たれたので、飢じさの余り、客の喰ひ残した鍋の物を盗んで来て、食はうとする所を遣手に見つけられ、鍋を首へかけさせ、柱へくくりつけて責め殺してしまつたので、それでそんな姿で、化けて出るんだとよ」。これは文化七年十月にあつた事件である。