道海和尚は所化の恵亮を招んで、五六日前に、同人を尋ねて来た兄弟子の、勇亮の身の上をつぶさに訊いた。
「それは実に不思議の病ぢや。衲も後学のたあに、ぜひ一度見たいと思ふが―」と、頗る熟心だ。恵亮は、想ひ出しても慄然とすると云ふ顔つきで、手を横に振りながら、
「方丈様、それだけは御無用になされませ。勇亮の背中の腫物、それは薬研彫に縦に五六寸、ぱつくり口が開いて、肉が赤く盛りあがり、その上に何と奇妙では御座りませんか。周りに一寸ほどの毛まで生えてゐるのです。業病と申しませうか。奇疾と云ひませうか、香具師の手に渡して見せ物にした ら、大金儲けの代物です」
「されば、その奇病ゆゑ、衲も見たいと申すのぢや。唐土には人面瘡とて、人の顔に似た瘡があり、口と覚しき所へ飯を入れ、それが無くなると痛むと云ふことだが、それにも勝る稀代の腫物。これは只事ではあるまい。何かの因縁に違ひない。旅僧に懺悔のため、奇病の経過を語らせよう」と、云ふことになり、直ぐに勇亮を呼んでこの事を告げると、彼は観念してゐたものと見え、腫物の由来を詳しく物語つたが、それには、恐ろしい人殺しの秘密が潜んでゐたのである。
上州沼田郡、座麻村の広福寺の雑僧であつた勇亮は、修行の辛いところから、師僧を二度までも殺さうとした不敵の者であつたが、成長するにつれ悪心が募り、ただ殺すのも興がないと、師僧が予てから、密通してゐた門前の後家を口説き落し、師僧が老病で床に就くやうになつてからは、その後家を寺へ引き入れ、ある限りの痴態を見せつけて、遂に問僧を悶死させてしまつた。
兎角するうち、淫奔の後家が他に情夫を拵へたことを知り、嫉妬の余り、或る夜斧を以て後家の頭に一撃を加へ、倒れた背中へ、猶も大疵を負はせて殺害し、屍体は利根川へ投げ込んでしまつた。
草深い田舎のこと、「門前の後家どん、二三日見えねえな」位で、別に村の者も気にも留めなかつたが、勇亮の背中が急に痛み出し、忽ちに皮破れ肉崩れて、その形が××の如くなり、追々に毛まで生じて牝口そのままになつたので、流石に破戒無慚な勇亮も、因果の罪が恐ろしくなり、寺を棄てて 廻国に出たが、弟弟子の恵亮が、この若州小浜の空印寺にゐると聞き、訪ねて来たのであると始終を語り、「人の恨みの恐ろしさを、この業病でしみじみと知りました」と、附け加へた。