二二、北川学士の富士心中

帝大助教授北川三郎が、カフエーの給仕女と富士山麓で心中したのは、昭和三年三月であつた。 その遺書の一節に、

止むを得ざる事情のために、突如、死が私を襲ひました。私は喜んで迅命に身を投げます。ウエルズ文化史完成を破綻せしめぬ事、是が今日にまで私をして、私の身を此世に縛してゐた唯一本の縄でした。然も今や万を以て数ふる多数読者と、我同志たる兄等の前に、自らを血祭ります。

相手の給仕女は私の郷里に近い足利市の生れで、その父親は間接に名前を聞いて知つてゐた。死んだ少女にも、残つた老父にも、幸多かれと祈つて置く。