二一、有馬武郎氏の心中事件

創作家有島武郎が、波多野秋子と軽井沢の別荘で心中したのは、大正十二年六月であつた。その遣書六通のうち、慈母と愛児三名へ残したのは左の如くである。

今日、母上と行三とにはお会ひしたが、他の二人には会ひかねました。私には却つてそれが良かつたかも知れません。三児よ、父は出来るだけの力で闘つてきたよ。斯うした行為が異常であるのは心得てゐます。皆さんの怒りと悲しみとを感じないではありません。けれども致し方 がありません。どう戦つても私は、その運命に向つて行くのですから。凡てを許して下さい。皆さんの悲しみが皆さんを傷つけないやう、皆さんも弟妹達の親切な手によつて早くその傷から断ち切るやう、唯それだけを祈ります。斯かる決心がくる前まで、私は皆さんをどれ程愛し たか。

涙なしでは読まれぬ親の愛が、筆端に溢れてゐる。私も雑誌記者時代に波多野女史には会つたこともあるが、快活な人で、心中するやうな人とは思はれなかつた。