二○、驚くべき明治期の心中総数

明治期になつてから、心中は更に幾倍の数を加へた。大道和一氏の調査によると、氏が知り得ただけでも総計五百十九件の心中があり、此のうち娼妓が百八十一人、芸妓及び雑妓が三十八人、酌婦及び仲居が三十五人、他は素人の、二百六十五人といふ総計を示してゐるとのことである。此の総計から見るも、心中の相手は依然として商売人が多いことが知られる。併しながら、斯う多くつては、と てもその人名だけでも記すことは不可能である。そこで茲には趣きを変へて、最近に行はれた心中のうちで、やや有名なる二三の者の遺書だけを載せるとする。

哲学者野村隈畔が、音楽家岡村梅子と、千葉県津田沼海岸で心中したのは大正十年十一月であつた。その日記の一節に―

十月二日、愈々革命来る、自由実現の絶対境に入る日である。

九日、一切々棄てて現実を超越す、何等の勇敢ぞ、永遠の美と愛と心行くまで憧憬する、何等の神秘ぞ、川を渡つて永劫の彼岸に旅立つ、何等の厳肅ぞ。

十九日、有限なる現実界に生れて、永劫無限の世界に旅立つ、これ哲学の希望であり、歓喜である云々。

さすがは哲学者だけに六ケしいことを云うてゐる。こんな六ケしい事を云ふ位だから、妻子ある身で心中をする。私は天下の人々に、余り六ケしい事を云はぬやうにお願ひする。