一七、三河武士の血も涸れた

さて、斯うした武士階級に心中する不所存者が加はつて来たことは、幕府の基調を武士に置いた封建時代にあつては容易ならぬことである。向う疵を誉れとして、武功に誇つた三河武士の末が、白粉 の香に現をぬかして、遊女や売妓と心中の死に恥を掻くやうになつたのも、所詮は時勢の罪なのである。打ちつづく泰平に弓は袋に太刀は鞘に納まつたきりで、武士といへば全くの有閑徒食階級と化し てしまひ、竹刀持つ手に三味線を握り、面擦を嗜みとすべき身が、糸鮹を鼻にがけるやうに墮落してしまつては、心中する者を出したからとて不思議はない。

将軍と姻戚関係ある六角越前守が吉原に遊びに往き、破落漢に喧嘩を売られ、斬り倒したが逃げる折に羽織の片袖を取られたのが証拠となり、遂に殺人の嫌疑を受けて所領一万石を没収された事件や、これに類似した小なる事件は枚挙に堪へぬほどである。

斯うなつては武士階級の解体であつて、幕府は内容的には既に崩壊したのである。