斯う書いて来ると、心中は大阪に限られてゐて、江戸や京都や、その他の地方には皆目無いやうに聞えるけれども、以上は主として大阪を中心とした、近松の心中物に依拠した為めであつて、他の地方にも尠くなかつたことは言ふまでもない。ただ江戸時代も、その中頃までは関西が文化の中心地であつて、浄瑠璃に演劇に、歌論に音楽に美術に、苟くも心中を題材として取り扱ふべきものが発達してゐて、殊に西鶴、近松、海音などの巨匠が揃つてゐた為めに、どうしても関西の事件が多く残される結果となつたのである。それ故に江戸特自の文化が発生した享保以後となると、今度は反対に江戸の心中が多く伝へられるやうになつた。