それが江戸時代になると、遽かに心中の数が増加して来て、殆ど数ふるに遑なしといふ有様となつた。かく江戸期に心中が劇増した理由に就いては、種々なる原因が存してゐるのであるが、その主なるものを挙げれば、第一ば永年戦争が続いてゐたので、男女ともに気が荒んでゐたので、死といふことを軽く考へてゐたこと。
第二は仏教が未来の生活を強く説いたので、此の世で苦労するよりは、彼の世で夫婦にならうといふ迷信に捉はれてゐたこと。
第三は資本主義的の経済関係が段々と発達して来て、世の中の暮し向きが逼迫したこと。第四は心中者を無暗に礼讚して浄瑠璃に作り、芝居に演じたことなどを数へることが出来るのである。然しな がら心中の真因は、概して金銭と義理の二つであって、大近松が喝破した如く、「世間に多い心中も、金と不孝に名を流し、恋で死ぬるは一人も無い」とあるのが実際であった。
従つて心中の原因中から、金銭といふ部分を取り去ると、恋の正味は全く摘むほどしか残らぬのである。