時代がずつと降つて南北朝頃に、里見主税之助の若党某が、内侍の女童と恋に落ち、山中に逃げ込んで、共に自殺したといふことが、吉野拾遺と題する書物に載せてある。これが事実であれば、心中の初物といふことが出来るのであるが、さて困つたことには、此の吉野拾遺といふのは後世に作られた偽書であるから、割引なしには信用することが出来ぬのである。
従つて我国の心中の初見は、今のところでは判然せぬといふのが穏当な考へである。それでは心中事は、大昔には無かつたのがと云へば、これは決して左様な次第ではない。若い男女が恋し合ひ、親が許さぬとか、世の義理に搦まれるとかして、自殺して果てることは、道徳の力の弱い時代にあつてもあり勝なことと思ふ。事実は少がらず存してゐたに相違ないが、ただそれを書き残して置かなかつ たので、遂に明白に知ることが出来ぬやうになつたのである。