一、日木は世界一の心中国

我国は世界第一の心中国たと聴いてゐるが、それではその心中(情死の意)なるものは、果して何時頃から始まつたと云ふに、これを、明白にすべき資料ば残されてゐない。

強ひて言へば、今を距る千二百年ばかり前の奈良朝時代に、摂津の芦屋の里に美しい少女があつた。それを摂津生れの蒐原男と、和泉生れの茅渟男と云ふ、二人の青年が恋して結婚を申込んだ。

乙女は二人に恋されて取捨にまよひ、家の前を流れてゐる生田川に遊んでゐる鴨を指し、アレを射取つた者に身を任せると云うたので、二人の青年は互ひに射たが、一人は鴨の頭を傷け、一人は鴨の尾を射たたけで、優劣を定めがねた乙女は、遂に身を生田川に投じて死し、二人の青年も続いて投身して死んだ。

これが、我国の心中の始めだと云はれてゐるが、六ヶしく云へば、此の心中には死ぬといふ意識が予め三人の間に通じてなかつたので、心中といふには、少しく無理があるとも云はれてゐる。結果が ら見れば、跡追心中とも思へるが、動機から見れば、ただの投身自殺とも云へるのである。