一一、頽廃期の流行唄と五角関係

江戸の末葉に―「男五人持ちや×××××××あとの×××誰と寝よ」といふ俚謡が流行した。

この歌は、即ち五角関係を詠んだものであるが、かうした多角関係の事件も少くなかつたやうである。文化十四年の六月に、旗本吉沢五郎右衛門の養父が不身持で、内々本所辺の町家を借り住んでゐ たところ、同町内に按摩があり、これと心易くなり出入してゐた。然るに按摩の女房が三味線が上手で、いつか富本節を語る男と密通した。

その事を亭主の按摩が知り、面倒になつたので仲人が入り、按摩に幾らかの金を握らせて示談としたところが、按摩の家主がこれを聞き、左様な者には家を貸して置ぐ訳には往かぬから、早速に立退 いてもらひたいと厳談を申込まれた。

按摩もこれには閉口し、予て懇意にしてゐる前記の旗本の養父に相談すると、「よし、拙者が引受けた」とて、直ちに家主を呼び寄せ、「そんな野暮を云はずに、今まで通りに貸して置け」と言ふと、家主非常に立腹し、旗本に対して散々の悪口をついたので、今度は旗本が怒り、その場で家主を無礼打に斬り殺してしまつた。

そこで、益々騒ぎが大きくなつたが、肝煎する者があり内分で済んだ。後で聞けば、旗本の養父も 家主も、更に仲裁人も、悉く按摩の女房と関係してゐたものであつたと云ふことである。

流行の俚謠はこれを唄つたものではあるまいが、かうした五角関係も江戸の頽廃期には珍らしくなかつたのである。一代の文豪と称へられ、著書に五常を説いた曲亭馬琴なども閨門が修らず、故人となつた饗庭篁村翁は、「馬琴の女房のお百が焼餅を焼いたのは、アレは××だつたからです」と、私に語られたことがある。他は以て知るベしである。