北はアイヌ人、南は琉球人、女は月経が通ずると妻となる資格が具つたといふ標に、アイヌは口辺に、琉球人は手の甲に、共に文身をしたものである。我が内地でも、大昔にはこれに似た風俗が在つ たやうに考へられる。今日では余程辺鄙な田舎へでも往かぬと、見られぬやうになつてしまつたが、女子が有夫の標として歯を鉄漿で染めた起りは、どうもアイヌのそれの如く、口辺に入墨した名残で はないかと想はれる。然しそんな詮索はここでは省くとするが、文身の技術は我国が世界一と云はれてゐて、殊に女子の文身には変態的のものが多く在してゐる。
出雲の松江の城主であつた松平出羽守が、多くの妾を蓄へてゐて、然もその妾は一人残らず全身へ入墨をさせ、雪の肌に朱や墨や色とりどりの彫りものが、盛夏の頃には羅を通して見えるのが、何と も言へぬ風情があると悦に入つてゐたと云ふことである。かなり気紛れな殿様であつたと同時に、少しく変態的のところがあるやうである。
同じ大名でも、松浦静山―(肥前平戸の城主)は、かうした出来事を丹念に書き残すことが好きで、甲子夜話と称する大部の物を著してゐるが、その一節に、本郷湯島のお吉といふ女侠は、一疋の 蟹が双方の鋏で××××××××××彫り、 夏は腰巻もせず、裸体のまま市中を往来し、人を見て笑ふ笑その家へ強請に往き、金銭を巻きあげたと記してある。女子の入墨に就いては不思議な話や珍し い話などが沢山あるが、ここには割愛する。