九、嫉妬の復響に憎悪の焦点

男女ともに嫉妬の報復が、××に向つて行はれることは、昔も今も全く同じである。

将軍家康の正妻であつた築山御前が、家康の愛した女中を嫉妬の余り、焼火箸を以て刺し殺したことは歴史上有名な話である。江戸時代に、日本橋本村木町五丁目に中村玄益といふ医者がゐた。流行したので財を積み、若い妾を抱へたところ、その妾が若党と密通し、事あらはれて玄益大いに怒り、 不義者とて両者を捕へ、××××××××× 大きな灸をすゑたところ、両人とも熱し苦しと泣き叫ぶのを、玄益指図して大勢にて取り押へ、遂に両人とも悶え死にをしてしまつた。

検視の役人が来て、不義の成敗とは云へ、仁術を旨とする医者にあるまじき不届の仕方とて、玄益は死罪の上に獄門にかけられ、灸すゑし男は打首、両人を押へた男は残らず追放の科に処せられた事 件があつた。

更に文政元年頃の出来事であるが、堀の内の鳴子の蒔絵師の女房が、間男を拵へたのを本夫が知り、両人を取り押へ、男は近所の寺へ連れ行き羅切し、女は××××××××しまつた。検視の役人 が来るのが後れたので、そのままに死骸を置きしに、××××××××××××××××××××と太田蜀山の書いたものに載せてある。

然るに此の反対に、女が男を傷けた嫉妬の復讐も少からず存してるる。或る職人の女房が、重い子宮病にかかつたので、亭主がこれを離縁しようとしたところ、病気の種を蒔いて置きながら離縁とは 勝手すぎるとて、亭主の熟睡中を窺ひ、剃刀を以て羅切した女房のあつたことを書物で読んだことがある。嫉妬する男女にとつては、×××憎悪の中心となるのであるから、これに対して復讐の行はれ るのは人情の然らしめるところであらう。