変質者が屍体を×××××××××××××××××××。昔、三河の太守であつた大江定基が、矢矧の遊女力寿といふを寵愛してゐるうちに、力寿が病死したところ、定基はその愛着にひかれて、×××××××。そのうちに屍体は腐れる。×××××××××××××××。定基もこれで発心して出家となり、後には支那へ渡つて名僧となつたと伝へられてゐるが、これに似たやうな実例は、男と女と反対にはなつてゐるものの、明治にあつたことを耳にしてゐる。
それは今の大阪の名優、河内屋延若の父である先代の延若が死んだときに、その妾であつた女が日夜にも×××××××××、それがために葬式が延びたといふことである。
これなどは俚謠に、「お前死んでも寺へは遣らぬ、焼いて粉にして酒で飲む」といふほどの熟心である。よく昔の草双紙などに、×××××××××××××たと記してあるが、これは全くの作り話ではなくして、往々に、かうした不料簡の人間が存してゐたのであるが、これ等は言ふまでもなく変態性欲者なのである。