五、女子の尻たたき祭の起原

これに就いて想ひ出されるのは、我国の各地に古くから尻たたき祭とて、女子の臀部を笞で打つ祭礼の在つたことである。

この祭で最も有名なのは、越中の鵜坂神社のそれであつて、天下の五奇祭として、京都大原社の雑魚寝祭や、近江の筑摩社の鍋冠り祭などと共に、歌にも作られ句にも詠まれてゐるが、今では此の祭 に尻をたたかれると、早く姙娠する圧勝だと云はれてゐるが、併しながら此の説明は、後からつけたものであつて此の祭の起つた大昔に溯つて考ヘると、 女子が尻をたたかれるために、××××××××××××××××××××××××××。誰でも知つてゐるロシア風呂は、極めて××を挑発するやうに設けられてゐるものであるが、 それは幾つかの石を火で熱し、これへ清水をかけて盛んに湯気を発散させ、その湯気で身体の垢を蒸したところを、内地の草箒のようなもので猛烈に身体中をたたくのであるが、婦女子は此の折に×××××。これから推すも、我国でおこなわれた尻たたき祭の目的が那辺にあつたかが知られるのである。

昭和の現代でも草深い田舎に往くと、旧正月十四日の晩に、村の子供達が棒で××××似たやうなものを拵へ、往来の婦女の尻を「お祝ひ申す」と囃しながらたたくのは、即ち尻たたき祭が民間の行事になつたものであつて、更にこれが圧勝と云はれるやうになつてからは、同じ十四日の夜に、桃柿などの果樹の幹をたたいて「なるか、ならぬか」と言ふのも、元は此の尻たたき祭から工風したものである。