山形県の酒田町では、現今でも、町内で道祖神(他県ではサイノ神、又はコンセイ様などいふふふ)と称祠を祭り、毎年正月に三尺ほどある木製の神体を持ち廻って、若い娘達に発×せる風習があり、これを××と早く良縁が得られると信じている。
そして此の風習に似て、更に露骨なるものが九州に残つてゐる。肥前国北高来郡有喜村人字鶴田の田圃中に、1基の石製の××がある。近郷の娘達は結婚式が迫って来ると、夜更に母か姉かに連れられて此の石神に参詣する。 同地方では「神さんを撫でたか」と云ふことは、即ち「水あげを済ましたか」と云ふことだと伝えられてゐる。かうした風習はまた姿を変へて各地に残つてゐるが、その起原は、我国では古く神々が、処女の初夜権を有したことを説明してゐるのである。
三河の長篠町附近の村々では、結婦しても三日の間は「お蛭子様にあげる」とて、新郎新婦は合衾せぬことになつてゐる。上州高崎市の茶問屋久保田孝次郎の家では、家風として新婚の若夫婦を七十 五日間同棲させないので、若夫婦が駈落したことさへある。是等は共に、神々が初夜権を行ふ間を新郎は避けてゐたのが、風習となり家風となつて殘つたものである。そして、此の初夜権が神から人の手に移ると、代々の将軍や大名などが、好んで用ゐた××権利である。