一〇、旅人を苦しめる祭

豊橋市の氏神である天王社の祭には、世間に類例の少い行事があつた。

此の祭は昔は正月十四日に執行され、榎玉の争ひ(岡山県西大寺の玉せせり祭と同じもの)赤鬼からかひの式が終ると、神輿のお渡りになるのであるが、此の神輿には古い獅子頭があり、それを家の如き型した物に納め、禰宜一人して頭に頂いて往くのである。そして獅子頭の鼻毛は祭日の朝に豊橋市の町々の入口に氏子が出張し、どこの馬でも、其処を通りかかつた三匹目の馬の尾を切つて用ゐたものである。馬には供餅と銭十二文を与へたが、鼻毛にとられると馬が短命になるとて、飼主は嫌つたと云ふことである。

此の祭儀は実に珍しいものであると同時に、少しく思ひを潜めて見ると、ごく古くそれが馬でなくして人、殊に旅人であることが合点されるのである。これは初めは旅人を捕へて人身御供に上げたのが、後に馬の尾を切つて、獅子頭の鼻毛とするやうに、変化したものだと考へられるのである。

祭の折に旅人を捕へ、これに種々の罪や穢れを負はせ(その以前は人身御供と思ふが、それを言ふと長くなるので略す)苦しめた例は各地にあるが、福岡県太宰府の観音寺(天満宮の別当)で、追偉祭を行ふときは、朝そこを通る三人目の旅人を無理矢理に捕へて来て、それを生松葉で燻して苦しめることが、大昔に行はれたと云ふことである。

更に、これよりも大仕掛のは、愛知県国府神社の直会祭で、旅人を苦しめる神事である。昔同社では祭の日に、同じく三人目の旅人を拉して来て素ッ裸となし、風呂に入れて身を浄め、白衣を着せ、神前に連れ往き大俎板の上に横に寝かせて、神官が庖丁でそれを料理する真似をし、それが済むと、今度は重さ七八貫目もあらうと云ふ大きな鏡餅を旅人に背負はせ、神官や氏子がその者を追ひ立て駈けさせる。

旅人は一生懸命になつて走り廻るが、そのうちに精が尽き倒れてしまふと、倒れた所へその鏡餅を埋めて、祭が終るのである。

此の役に当つた旅人は、三年の間に死ぬと云はれてゐて、非常に恐れをなしたものである。それ故に国府社の直会祭が近づくと、東海道を往来する旅人が警戒して、街道に人影を見ぬと云ふので、藩主である徳川家から厳命を発して、停止したと伝へられてゐる。

以上の祭儀から、豊橋天王社の故事を推すと、それが大昔には旅人であつたことが知られるのである。然らば何故に、三人目の旅人を捕へたかと云ふに、三は我国の聖数であるからで、土地の者は知つてゐるので通行せぬため、それで旅人を用ゐるやうになつたのである。