大昔の人は、科学の知識を有してゐなかつた為めに、人間も動物も草木も、殆ど同じやうに考へてゐて、ただ漠然と同じやうな所作は、同じやうな結果を生むものだと信じてゐた。
稲が稔を孕み実るのも、稲夫といふ男性に会ふためだとして、豊作を得るにはその咒術に稲の穂が孕むやうな真似をすることが、農業祭として工夫されるやうになったのである。それであるから農業祭は、その悉くが性的行事であつて、奇風俗が多く残つてゐるのであるが、又それだけ風紀上に面白くないことが尠くないので、茲にはその中で、奇抜ではあるが、風紀に害のない田植祭に出産の真似 するものを記すとする。
熊本県の官幣大社阿蘇神宮では、昔は二月初卯の日に田作祭を行つたが、それは先づ子安河原から姫神を迎へ、神婚の式を挙げ、五穀の神を生み、種を播くより熟するまでのことを行ふ。そして、此の神を生むと云ふのが即ちお産の真似なのである。
更に具体的の神事を示すと、鳥根県簸川郡江南村大字常楽寺の安子神社の祭は、田植女が早苗を植ゑながら、出産する有様を演ずるのである。岡山県真庭郡八束村大字長田の長田神社でも、例年五月 五日に御田植祭を行ふが、ここでは拝殿の昇り口で、神官が紙で拵へた人形を分娩する真似をすることになつてゐる。現今では、七夕といへば星祭となつてしまつたが、これも大昔は田の作物の良く稔るやうにと男女が集つて、咒術をしたことに由来してゐるのである。それは七夕と云ふ語が、古く種畠であつたことからも推測されるのである。