五、各地の雑魚寝祭

雑魚寝祭といへば、前に挙げた京都市外大原村の江文神社のそれが、先づ第一に指を屈せらるるほどに有名であつて、井原西鶴の一代男には、挿絵まで記載されてゐる。

併しながら、此の種の祭は各地に亘り殆ど数へきれぬほど沢山ある。ここに主なるものを記すと、山形県東村山郡山寺は、慧覚大師の開基した巨刹であるが、毎年旧七夕の夜には、多数の男女が登山して雑魚寝をする。古い記録に、此の夜の有様を、「新旧讖を分たず、両性年を問はず」と述べてゐる ので、その夜の雑沓が偲ばれる。

福島県南会津郡長江行大字湯野上の氏神祭には、附近男女の信徒が数百人集り、氏神のお取持と称して雑魚寝をする。氏神祭の夜にお取持とて、結婚式の真似をする村は他にも存してゐるが、それを書き始めると筆路が脱線するので差控へる。

栃木県栃木町に近い太平山神社では、旧八朔の夜に、参詣人が社殿にお籠りして一夜を明すが、往往風紀を紊すので警察署で厳重に取締り、近年は漸く跡を絶つ様になつた。長野県諏訪郡豊平行の山寺区に八幡社がある。毎年祭礼の夜に、男女が社殿に泊り込み良縁を祈る。

石川県珠洲郡三崎町大字寺家の三崎神社でも、例年八月十五日の祭の夜に雑魚寝が行はれるが、此の夜は近村は言ふまでもなく、十数里四方の信者が集り殷賑を極めるさうである。神戸市外の駒林村に雑魚寝堂(今では枕寺と称す)と云ふがあるが、寺ではない。これは同村未婚の男女が節分の夜に集り、ここに雑魚寝して夫婦の縁を求めたものである。兵庫県飾磨郡穴瀬村の氏神社でも、昔は祭の夜は拝殿の戸を閉ぢて男女の雑魚寝があつた。まだかうした類例は夥しきまで存してゐる。

それではかくの如き祭儀が、何のために起つたかと云ふに、是は神判成婚の意であつて、即ち神慮に問うて、配偶者を定める方法なのである。茨城県の鹿島神社で、昔は未婚の男女の名を紙に記して帯に附け、その帯を神前に下げて神官が祈祷し、帯の合うた者を夫婦としたもので、世にこれを常陸帯の祭と云ふが、これなども同じく神意によつて良縁を極めた神判成婚の一種である。