滋賀県坂田郡入江村大字朝妻筑摩の筑摩神社には、昔から鍋被り祭といふのが、今に至るまで滞りなく行はれてゐる。
此の祭は天下の五奇祭の一つとして、他の京都市外大原の江文神社の雑魚寝祭、富山県婦負郡の鵜坂神社の尻たたき祭、茨城県鹿島神社の常陸帯の祭、奥州の錦木の祭と並び称されたものだけに、かなり有名な祭礼となつてゐる。
伝説によると、氏子の女子で、一度夫を持つたことのある者は鍋一枚を、二度夫を持つた者は二枚、三度は三枚と、その度数に応じただけの鍋を被つて、祭の日に社参するので、鍋被り祭と云ふやうになつたのであると称へられてゐるが、これは元より好事家なる者が、いい加減に拵へた作り話であつて信用することは出来ぬ。
我国には祭礼の折に、女子が鍋を被つて参詣する風俗は、筑摩祭のほかにも各地にある。茨城県笠間町の氏神祭でも、大阪府豊能郡枳根荘村の鎮守祭でも、共に前年そこへ嫁して来た新婦は、鍋を被つて神事に加はることになつてゐる。然るに是等の土地には、筑摩のやうな伝説のないとこるから見るも、此の祭の理由が他に存することが知られるのである。それではこの鍋被り祭は何を。味してゐ るのかと云へば、これは大昔に処女か否かを試験する祭として行はれたものである。
沖縄県の久高嶋では、近年まで十二年目毎にイザイネ-と称する神事が行はれてゐた。これは内地の神社の境内のやうな所へ高さ二尺ほど、長さ二間ほど、横一尺五寸ほどの板橋を地上に設け、村の婦たちを一人づつ渡らせるのであるが、昔から同地の言ひ伝へに、一度でも異性に接した女子は、神の祟りで必ず橋から落ちて死ぬと云はれてゐるので、後ろ暗い者は祭の前に姿を隠してしまひ、強情の者は心の傷を押し隠して橋を渡りかけ、僅に二尺ほどの高さから落ちて、気絶する者さへあると云ふことである。
そして、無事に此の橋を渡り終せた者は、無垢の処女として神寵を受ける資格がありとて、島中から尊敬されるのである。
筑摩社の鍋被り祭の元の意味も、亦これであつて、鍋一枚被る女子にして、始めて神寵を受ける資格者たることを決定したものなのである。そして今では、紙で拵へた鍋を稚児に被らせて参列させる ことになつてゐる。