四、猫が手拭にじやれてゐる形

下谷同朋町の芸妓お玉が、関係した男の紋を身体中に彫り散らし、世間から「紋散らしのお玉」と噂されたことは、余りにも有名だから今は詳記することを略すが、このお王の向うを張つた金太郎娘といふものがあつた。

この女は、本郷春木町の蕎麦屋の出前持であつたが、頗るつきのお侠で、背から腹へかけて金太郎を彫り、丁度、乳首のとこるヘ金太郎の口がいつて、その乳首を啣ヘてゐるやうに出来てるた。しかも、金太郎は全身朱入れであつて、実に立派に彫りあがつてゐた。

朱入れは、他の墨や紫とは違ひ、非常に痛いもので、殊に乳房は×器機同じく極めて神経の鋭敏な場所と云はれてゐるのに、よく彫つたものだと、金太郎娘の評判が高くなり、蕎麦を食べに行つて、その刺青を見せてもらふ客が多く、思はぬ繁昌をしたといふことである。

刺青の意匠は、千様万態であつて、あだかも、江戸の精華と云はれた錦絵のそれの如く、ありとあらゆる巧緻を尽したものである。

刺青研究の権威たる福士政一博士の談によると、近年まで、刺青を自慢にする仲間には、東京の料理屋とか、箱根の温泉宿とかヘ秘密に集つて、品評会をやつたものださうである。

三四年前に、一等賞を得たのは、多勢の者が裸体になつて、あれかこれかと、脳漿を紋つた意匠を見せ合ひ、評し合つてゐるのに、ただ一人だけ、彫物をしてゐない男があつた。

仲間外の者が紛れ込んだのではないかと、怪しんでゐると、やがて、その男が立ち上つて腹帯をとつた。すると、驚くなかれ、腹帯の下―即ち臍の上に、四寸ばかりの大名行列の図が、極めて精巧に、しかも目も覚めるほどに綺麗に彫つてあつて、先供から、駕籠昇の人足の草鞋の紐まで克明に彫つてあつたといふ。また或る婦人は、肩に豆絞の手拭をかけ、お尻のところに猫が彫つてあつたが、その婦人が歩くと、お尻の筋肉の動きで、まるで、猫が手拭に戯れる形を見せたといふ奇抜なものもあつた。

更に、巧妙をつくしたものには、蜘蛛の巣に一片の紅葉が掛かつてゐる図が背中に彫つてあり、それから一筋の絲を引いて、足のところに蜘蛛がゐるといふのもあり、花札四十七枚を全身に彫り散らし、二十坊主一枚を、足の裏に彫り隠して置くといふ―奇想天外より落ち来たるものさヘあつた。

昔、神田市場の若者五六人集り、共同して、刺青したといふ話が残つてゐる。図柄はたしか、弁慶五条ノ橋と覚えてゐるが、五六人の並んだ背中ヘ、ずつと通して橋を彫り、その上で、弁慶と牛若丸 が闘つてゐるのである。これは、その人数だけ一列に並ばないと、絵模様にならぬといふ手のこんだ趣向であつた。