一、異性をひきつける為の刺青

刺青の起原は、今日からは判然せぬが、第一は圧勝(まじなひ)の意味から、第二は異性の注意を惹く目的から発明され、それが段々と、身体の装飾となつたことだけは疑ひない。

我が国で、古く目頭と目尻ヘ、あだかも、今の俳優がする眼隈と同じやうに刺青したのは、この眼で睨むと、目勝ちするといふ圧勝から来たものである。

更に、台湾の生蕃の伝説に、世界の始まりは兄妹の二人ぎりであつたが、子孫を儲けるために、妹が顔に刺青して兄を欺き、夫婦となつたといふのがあるが、これは、刺青が異性を惹きつける由来を語つたものである。

かうした次第とて、刺青に圧勝と性欲とは、全く触れることの出来ぬ関係に、置かれてゐたのである。

子供のない夫婦が、その何れかに、「加藤左衛門重氏」と刺青すると、子供を授かるといふので、今でも稀には見かけることがあるが、その理由は判然せぬ。もともと迷信のことゆゑ、理由が分らぬとて不思議はない。

それから、刺青を始めて出来上らぬうちは、琉球畳の上に坐ることと、異性を近づける事を禁ずるといふ。これは二つとも、禁を破ると、刺青の色が変るとて恐れてゐる。異性を惹きつけるための刺青に、これを遠ざけねばならぬとは、少しく皮肉である。

信仰のために、仏名や、仏像を刺青にしたことは、かなり大昔から行はれてゐた。

今を距る八百年ばかり前に、比叡山の無動寺で修行した仙命上人は、額に三宝の文字と、背に阿弥陀の仏像とを刺青して、諸国を布教して歩いたとある。この阿陀仏の刺青が、後世のそれのやうに精 巧なものであつたらうとは思はれぬし、又信仰に由来してゐるのであるから、別段に、精巧を必要としなかつたものであらうが、とに角に高僧の背中に仏様の刺青があるとは、当時としては、信者を集 め、布施を寄せるに効能のあつたことと思ふ。さうして、かうした意味の刺青は、後世にも存してゐた。