廃娼が全国的に叫ばれ、然もそれが全国的に行はれようとする時勢に於いて、今さら飯盛女の考証でもあるまいと思はぬでもない。併しながら私に言はせると、廃されるのは公娼だけであつて私娼は興らぬ。成る程、政府の名に於いて醜業を許すことは、実に言語道断の沙汰ではあるが、それかと言つて人類の存する限り、私娼まで削滅されようとは如何にするも考へられぬ。それどころか昨今の頽廃的趣勢は、益々私娼の狷獗を促すべき傾向さへある。そして私が茲に記述する飯盛女は、公娼では無くして私娼である。さればと謂つて決して暗娼では無い。強ひて言へば代々の幕府が黙許した娼婦であつて、現在にその比較を求めれば亀戸、玉の井の私娼と軌軌を一にする、半公半私の存在である。従つて目下の官憲の私娼の取締が、古い飯盛女の取締に学ぶ所があるかのやうに想はれ、彼を考へることが之を知るに全く無用だとも云へぬのである。
飯盛女の本質や制度に就いては、先輩の研究がその総てを尽してゐべき筈であるのに、事実は是れに反して飯盛女の別名を食焼女(くひやきおんな)、食売女(くいうりおんな)と称した関係すら判然して居らぬ。更に言へば幕府が官許した公娼―即ち遊女と、黙許した私娼―即ち飯盛女との差別さへ明確にされてゐぬのである。猶ほ言へば、遊女奉公と飯盛奉公との区別さへ判然せぬ。誰にしても少しく我国の売笑の起伏に興味を有する者ならば、概念的には遊女が公娼であり飯盛女が私娼であることだけは知つてゐるが、さて一歩をすすめて両者の相違が何処にあるかと問へば、直ちに明白なる答へをする者は尠いのである。これ私が飯盛女の再検討を敢てした所以である。