平賀源内は奇人であつただけに、特に男色を好みとして、その記事も少からず叙せてある。
曰く「神明参(芝)の帰足は本地垂跡の両道(男色の事)になづみ、湯島(男色)の二階は千里の目をきはめ、英町(今の神田花房町で男色)の内側は隣よりも又近し。よごれを拭く茅場 町、眇目もまじる神田の明神、外になければ市ヶ谷の八幡前、天満神のあたりに近き、室咲の桜手折らんと、麹町には寝るを楽み、土気とれぬ土橋(今の深川区)より、一ッ目山猫(私娼の 異名)なんどいへるは、さながら化物の名に近し。処変はれは品川の風流、女護ヶ嶋の辻番かと、覚ゆる看板に偽ありそ海、深川のぴんしやんも、度重なれば飴の如し。和かで歯につかぬ大根畑(今の本郷新花町)の居続け、鮫が橋(麻布)へ走つて鐺のつまる鐘つき堂(本所入江町)借つた跡での板橋より、千住と云へば観音めける。万福寺(浅草)の恋無常、朝鮮長屋(浅草)の異国くさく、いろは熟谷(今の牛込若宮町)世尊院(本郷千駄木町)人を引出すおたんす町(四谷)八幡たまらぬお旅(ともに深川)の騒ぎ、三味の音じめの音羽町(小石川)語り明して夜を根津(下谷)の、東の空の赤城(牛込)より、暗きに迷ふ籔の下(麻布)通ふ足音高稲荷(同上)愛敬稲荷(牛込市ヶ谷)の狐より、化そこなひの市兵衛町(麻布)水の氷川(赤阪区)の寒空は、ふるうて通ふ胴坊町(芝区三田)丸山(本郷)の丸寝すがた、新大橋の長ながしき、三十三間ど うよくに(以上深川)又も一座を直助屋敷(同上)出る舟あれば入舟町、石場につづく蹴こるばし(下谷)踏返したる丸太(比丘尼の異色)の名物、立たうと伏ようと銭次第、舟饅頭に餡もなく、夜鷹に羽はなけれども、習それぞれのすぎはひは、鳶とんで天に至り、魚淵にをどり子の気色まで、残る方なく眺め尽しぬ」
とある。
以上に書き記されただけでも、寧ろその多きに過ぎると思はれるのだが、是等は源内の耳聞見増した一班であつて、まだ此の外に書き落された場所が少からず存してゐたのであるから、娼婦が幕府を倒すに至つた跳梁ぶりも察しられる。
殊に私娼の種類にあつては、此前後を通じて既述の外に、呼び出し、綿摘、金猫、銀猫、地獄、提げ重、茶屋女、臭屋、間短、おろせ(以上三者は主として京阪)筒持せなど、数へきれぬほど夥しく存してゐたのである。私はこれより進んで、是等の岡場所や私娼に就いてやや詳しく記すこととする。