大正四年にロシヤから我国に留学し、言語と風俗の研究をつづけ昨年九月に帰国したネフスキー氏は、私に有益なる話を沢山に残して往ってくれたが、其中で我国で妻か迎へることをメトリと云ふ語原は、古く男子が腕力を以て女子を奪ひ取った―即ち女取に外ならぬ。これに反して女子は腕力では男子に勝てぬとこるから自分の艶容嬌態を利用して舞踏をなし、そして男子の好奇心を惹くやうに努めた。国語のヲドリ(踊り)といふのはこれから出たもので―即ち男取の意味に過ぎぬと語られたのは、我が古俗をよく説明したものだと考へてゐる。勿論男取と踊りとは仮名遣ひが違ひ発音も別であるけれども、囮が此の意味を含んでゐるとこるから推すと、同氏の考へは相当に立派なものだと信じたい。
我国でも古く異民族との間に闘争があったが、その都度に多数の女子が奪はれたことは想像に難くない。一部の人の間には闘争に勝っとその部落の男子は悉く追ひ払ひ、女子を従はせたものであると説く者さへある。私は此の説に直ちに賛成する者ではないが、斯う云ふ傾向のあったことだけは認めても差支ないやうである。それに異民族間の融和は雑婚に始まるのが普通のやうであるから、その最初において猖んに嫁盜みが行はれたことであらう。現に内地人とアイヌ人や朝鮮人との間に、通婚が行はれると同時に、融和の度を深めつつあるが、斯うした事は大昔に内地の異民族にも行はれたに相違ない。それが今は嫁盜みの手段に出ないのは人智が向上した為めである。
本問を終るに際し一言すべきことがある。それは今度は記事の出典を省略したが、これは余りに煩雑に流れると思うたからである。併しながら既載の類例は私が多年に渉って集めたもので、一つでも捏造したものでないことを明言する。(犯罪科学22ノ一)