私の寡聞のためか、福島県双葉郡山田村に残つてゐる婚儀は、嫁盗みの一片が残存したものか否か判然せぬが、ここに私見を述べて読者から高教を仰ぎたいと思ふ。それは同村では花嫁の荷物は、村内の十六七歳の未婚の娘達が、顔に墨を塗り赤手拭で鉢巻をなし赤襷をかけ、箱根八里は馬でも越すが云々の馬子唄を謡ひながら、親族その他の者が花嫁を伴ひ、婿の家に行くのに一緒に出かけるが、男の方では嫁迎へとして「駕籠馬」と称する、矢張り異様な風体をした娘達が途中で待ち受ける。此の娘達も十六七歳の処女ばかりで、顔を手拭で包み身に藁菰を巻き、更に馬の尻尾の如きものを藁で拵へ臀部に下げ、花嫁の来るのを見ると、四ツ這ひになつて出迎へる。それより一同婚家に著き式を行ふが、式後これ等の娘達は裸踊りをするのが習はしで、その娘を持てる親共は、裸踊りするほどの気丈夫の者は男まさりなりと自慢するさうである。
全体、結婚の儀式にあっては、その土地の習俗と婚家の嘉例とによって、実に奇披なものが存してゐるが、此の「駕籠馬」の如きは余り他に類例を知らぬ。学友ネフスキー氏の談によると、氏の生国であるロシヤの片田舎へ往くと、昔の嫁盜みの儀式化されたものが、種々なる形式で残ってゐるが、その中に男が女を妻にするには、婚約が済んだ後にその女が着てゐるだけの衣服を悉く脱がせ、男の手が女の○○に触れることが条件となってゐて、若しそれが実行されぬときは、結婚は不調に終ると云ふ習俗がある。それであるから此の式場に臨む花嫁なる者は、幾枚となく着衣し、殊にスカートは所持してゐる限り幾重にも穿き、その上に友達の女五六名を頼んで出かける。花男は渾身の勇を揮っ て花嫁の着衣を剥ぎとらうとし、花嫁は取らせまいと抵抗する。友達もこれを妨害するために加勢する。かくて争闘に次ぐに争闘で頗る喧騒を極め、果は男も女も血まみれになるが、元々、双方とも承知の上で演ずる儀式のことであるから、よい加減の潮どきになると、男が定まれる条件を允して目出たく局を結ぶと云ふことである。私は此の話を聴いて福島県の「駕籠馬」の風習を考へ直して見ると、荷物を送る娘達と駕籠馬になる娘達との間に、何かロシヤに行はれたやうな争闘をする儀式があったのが、歳月の移ると共に忘られてしまって、後にはかかる形式だけが残つたのではないかと思はざる を得なかった。若しさうでないとすると、女子が馬の真似をして這ひ歩くとか、更に女子が荷物が送ると云ふことの理由が発見されぬからであって、且つ此の儀式は嫁盗みの一破片だと信じたいのである。