婚礼に要する新郎新婦の衣類、調度、及び饗宴などの費用を節約する目的で、形式だけ嫁盗みの所作を演ずる婚姻は、厳格なる意味から云へば嫁盗みでは無いのであるが、兎に角に形式だけでもそれを学んでゐるので、姑らくここに併せ記すとする。
大阪市南区の難波、木津の各町が、まだ市内に編入されなかつた明治以前には、俚俗「ぼおた」と称した婚姻が行はれてゐた。これに就いて同地木津鴫町生れの学友折口信夫氏の記述があるので、その要点だけを摘載する。
今は市中であるが、昔の木津村、難波村、今宮村では、明治の初年までは、確に行はれてゐた (中略)。掠奪婚ではあるが、父母が反対の時に意志を貫徹するためにするのではなく、父母の合意の上で、掠奪に任せるのである。その夕方になると、女は化粧などして待つてゐる。男の友達が駕籠を舁いで往つて女をそれに乗せ、門を出ると大きな声で、ぼおたぼおたと懸声をしながら、男の家に嫁御寮を送り届けるので、とりわけ盛んに行はれたのは、木津村であつたさうだ。今五十年輩の女のうちには「あの人もぼおたで嫁やはつたのに、えらいええし(好い衆)になりやはつたもんや」などと云はれてゐる人も二人ばかりある。ぼおたは家計不如意で、嫁入り仕度の出来ないやうな場合にするのだといふことは、この会話の断片によつても窺はれよう。(中略)後になつては貧民の結婚の一形式となつてしまつたのだ。木津難波今宮あたりは、昔の農村であつたから、ぼおたは水番百姓の仲間には普通に行はれてゐたのである。ぼおたは勿論やうばうたのうが、鼻母音的の性質を持つてゐるところから、それが略せられて出来たことばである。そしてかういふ結婚の形式の名称となつたのである云々。(郷土研究一ノ一○)
熊本県阿蘇郡の村々でも、男女双方の家計の関係から失費を恐れて、嫁を盗んで来たやうに拵へて、婚儀を整へる者が往々にあると云はれてゐる。既述した栃木県足利地方の「庭放れ」と云ふことも、又これと同じもののやうに考へられる。