九、弓で射られた腰曲り観音像

山口県厚狭郡厚東村は、昔厚東判官の居た所だと云ふが、今にその城址が少しばかり残つてゐる。

判官には夫婦の間に子供が無かつたので、金銀や宝玉を集めるのを無上の楽しみとし、時々家来を寄せて之を見せ、家来の驚嘆するのを眺めては、せめてもの心憂さを慰めてゐた。或時、判官は五六人の家老を呼び、その家々に伝はる宝物を持ち寄らせ、宝くらべをせよと命令した。家老達は各自に宝物を出品する、主人の判官も秘蔵の黄金の鷄を始めとして、数限りない名宝佳品を並べた。その折 に一人の家老は、家に宝物は無いが子供があるとて、男七人女七人の子供に今日を晴れと着飾らせて、此の子宝が家の宝物だと城内の広間へ居並んだ。これには如何なる宝物でも及ばぬので、判官はつくつぐと自分の子の無いことが悲しまれた。

そこで判官は、中山観音に祈願をかけ、もし観音の利益で子が出来たら、十一の年になるのを待つて、必ずお返しするから授けてくれと無理な願籠めをした。そのためか間もなく奥方は懐胎して、玉のやうな女の子を儲けたが、さて子を持つて見ると可愛さが又格別で、判官は女が十一になつても返さうともせず、後には観音を怨みだし、或日、そこへ往つて観音の尊像を弓で射て立去つた。すると 間もなく敵軍が攻めて来て、判官も奥方もその可愛い女も、更に家来までが攻め亡ぼされてしまつた。

今でも夜中になると、城址に矢叫びの音や太刀討の声が聞え、曉ちかい頃になると、地中に埋まつてゐる黄金の鷄の鳴く声がすると土地の者は云つてゐる。それに中山の観音の像は、判官に射られたので今に腰が曲つてゐるとのことである。