千葉県印旛郡八生村大字大竹に「子は清水」と云ふ大きな岩屋がある。中は千畳ほど敷けるさうだが、入口から四五間奥に平石が立つてゐる。
昔は此の附近の村々で、振舞ごとや婚礼などがある時、多くの膳椀が必要だと此の岩屋の入口へ来て、大きな声して何月何日に膳を幾人分、椀を幾人分だけ貸してくれと頼み、其日に往くと頼んだだけの膳椀が、屹度その平石の町へ出してあるので、村民達は之を借りて用を便じ、終ると元のやうに平石の前へ並べて置くと、いつの間にか奥深く蔵はれるのであつた。それで村々は一名を椀貸し岩屋 とも云うて調法してゐた。然るに或時に慾の深い百姓が、膳椀を借り放しにして返さなかつたので、それからは畿ら頼んでも一切貸してくれぬやうになつてしまつた。今でも磯辺村の名主の家と、大竹村の庄右衛門の家には、古い膳椀が残つてゐるさうだ。
それから此の岩屋を、子は清水と云ふ理由は、昔、正直で貧乏な百姓があつて、酒が飲みたくも飲むことが出来ぬので此の岩屋の清水を飲むと全く酒のやうな味がした。それでその子が飲んで見ると酒で無くして水であつた。今に此の地方に「親は古酒、子は清水、三箇の岩屋に三つの井戸」と云ふ唄が行はれてゐるのも之が為めである。