徳島藩士の泊甚五右衛門は、代々藩主峰須賀侯に仕へ千石を食み、水練の師範役として世に聞えた名家である。
然るに此の泊家に、龍宮の王様が贈つたと云ふ不思議な沓が一足ある。常に凾のうちに此の沓を収めて置いて、座右を離したことの無い宝物である。殊に代々の将軍が船に乗られるときには泊氏は召されて御座船に乗り、紫の袱紗に包んだ沓入の凾に臂を掛けて侍座し、万一の場合には水中に将軍を助ける任務に当つたものだと云ふことである。
此の泊家に就き、最も不思議なことは、毎年正月元旦に当主の甚五右衛門が龍宮へ参賀するとて、絞服に羽織持を着し例の沓を穿いて海浜に出かける。見送りの郎党門人は勿論のこと、見物人は山の如く集つてその動作に注意してゐると、甚五右街門は寒気にも恐れず、平然として静に歩みて海に入り、漸次に身を没すると高浪が来てこれを覆ひ去るのである。かくて同七日に至り始めて海から出る。此の日も出迎人が群集するが、海から出るときは先づ半身を現はし、両手で浪を掻いて出て来る。但し衣服は潮水で濡れてゐるが、その他には少しも異状は無い。かかる不思議は全く龍宮から得た沓の奇持に由るのだと云はれてゐる。