子供二人を鋳込んだ大梵鐘

人間を鋳込んだと云ふ梵鐘は方々にあるが、ここには京都府与謝郡府中村大字成相寺にある人鐘に就いて記す。大昔のこと、同寺の開山和尚が梵鐘の寄進で村々を廻つてゐるとき、或村の貧しい農家の門に立ち、成相寺の鐘の勧進を申し込み、一紙半銭でも喜捨するやうにと頼むと、その家の女房が出て来て、折角だが寄進する物は塵一つ無い、強ひて得たいと云ふのなら、此の子供二人を連れて行くがよいと、邪慳にも二人の子供をそこへ突き出した。和尚は縁なき衆生は度し難しと、そのまま其処を離れて寺へ帰つた。

それから幾月かの後に、方々からの寄附が集つたので、愈々寺の庭に細工場を建てて梵鐘を鋳ることとなつた。結ひ廻した柵の外には、幾百人と云ふ信徒が集つて見物してゐるうちに、丈八尺もあらうと云ふ梵鐘が、鋳物師の手によつて立派に鋳造された。然るに不思議なことには、鐘の撞木の当る脇の処へ幼い二人の子供の顔が、明瞭に鋳出されてるるではないか。和尚も鋳物師も見物人も斉しくあつけに取られて見まもつてゐると、そこへ大勢の人垣をわけて泣き込んで来たのが農家の女房であつた。そして語るところによると、それまでは何事もなく遊んでゐた二人の子が、鐘を鋳込む頃に「成相寺に往かう」と云つたまま姿が消えてしまつたとのことであつた。

女房は二人の子供のために尼となり、鐘に浮んでゐた子供の顔も成仏したのか段々と消えてしまつたが、それでも今に「鳴らずの鐘」とて同寺に残つてゐる。