一、小箱に収まる千畳釣りの蚊帳

東京品川の東海寺には、八寸四方の小箱に収まる千畳釣りの蚊帳があると伝へられてゐる。現在でも此の蚊帳が存してゐるかどうか、そこ迄は詮索せぬけれども、昔は同寺七不思議の一として世間に知られてゐたものである。但し此の不思議な蚊帳が誰によつて造られ、如何なる手続きを経て同寺の所有になつたかに就いては、寡聞なる私は何等の耳福に接してゐぬのである。

千畳釣りの蚊帳―そんな大きな物のあらう筈も無し、また仮りにあつたとしても、それが八寸四方の小箱に収まる許は無いなどと、肩を張つて常識論を振廻すことは、全くこの際禁物であつて、そこが即ち七不思議なのだから、何とも致し方の無い話で、科学も論理も超越してゐる所に、伝説の面白味があるのである。それでは斯うした伝説は、東海寺だけに限るかと云ふに、決してさうでは無くして、千畳釣りほど大きくはないが、これと同じやうな蚊帳の伝説が他にもある。

それは徳鳥県那賀郡桑野村に濁りが淵と云ふのがある。或時、廻国の六部が此の村へ来て、金持の家に一夜の宿を求めた六部は笈の中に黄金の鷄と、一寸四方の箱に収まる八尋釣りの奴帳とを蔵つてあつたが、種々の話の末に宿の主人が此事を知り、それが欲しいままに遂に悪心を起し、家に飼つてある鷄の止り竹に熱い湯を通して早く鬨をつくらせ、夜明に近いと六部を出立させ、六部が河の淵にさしかかつた所を、主人が後から一太刀浴せて、六部を河の中へ斬り込んでしまつた。黄金の鷄は羽音を立てて飛び去つたが、八畳釣りの蚊帳だけは主人の手に入つた。六部を斬り込んだときの血潮で此の淵の水は今に赤く濁つてゐるので濁りが淵と云ふやうになつた。六部を殺した金持の家では、それからと云ふものは餅を搗くと、必ず餅の中に血が滲み出るので、決して餅を搗かぬことになつてゐる。そして不思議の蚊帳は、今にその家に残つてゐるが、家の名前だけは秘して置くと、報告されてゐる。

千畳釣りと八畳釣り、蚊帳に大小の差はあるが、此の伝説が一つ種から出たことは疑ひない。