杉野は寺侍でこそあれ、これも両刀を挟む武士である。それが自分の女を博徒づれに殺されたとあつては、両刀の手前へ対し申訳が無いと、飛んだとこるへ力瘤を入れ、それからお玉に因果をふくめ、当分、余熱のさめるうちと、お玉を若衆に拵へ寺小姓として寺内に隠匿することとした。
かうして二月三月は、何事もなく過ごしたが、根が蓮ッ葉のお王、六尺の男を手玉にとつて、活殺自在に操縦した身には、寺の生活は怎うも窮屈で我慢が出来ぬ。それに杉野と人目を忍んで偶さかに逢ふのでは独り寝の閨さびしく、いつの間にか寺中の学僧と出来てしまつた。さあ斯うなると杉のも面白くない。鉈貸して自分の山の木を伐られたやうなもので、それからは両人の間は擦つた揉んだで日を送るうち、此の出来事を嗅ぎつけた藤五郎が、江戸の敵を長崎で討つてやらうと、寺社奉行へ訴へて出た、と云ふ騒ぎ。当時、寺社奉行は、川柳点に「又出たと坊主びつくり貂の皮」を以て有名なる脇坂淡路守、直らに召捕つて杉野は追放、学僧は寺法によつて処分され、お玉は以前の古巣へ舞ひ戻つて、再び左褄を取ることとなつた。