他人の娘を養女に貰ひ受け、娼婦とせし事も決して珍しい例では無いが、左にその一例を挙げる。
証文之事
一、私娘なをと申者、当年二十二歳に相成申候、今般貴殿娘に貰ひ請申度旨承知仕候、依而娘得心之上、親子縁切として金子五両弐歩難有請取申候、是以後貴殿娘に候得ば、如何様共御勝手次第に御座候
一、且那寺又は親類等何等も申儀無之候得共、若彼是候はば私共罷出貴殿へ少も御難題懸申間敷候、依縁切証文差上申処一札如件(石川県史第二篇所収)
嘉永二年戌十一月 金沢在十一町屋柿畠五朗右衛門事
当時京都下立売千本西へ入
親元 加賀屋五郎右衛門
同浄福寺下長者町上ル
請人 丹波屋勘兵衛
加州能美郡今江村
中村屋三郎右衛門殿
御定書ヶ条の享保十八年極によれば、「軽き者養娘遊女奉公に出候もの、実親方より訴へ出候共、取上無し」を原則とし、その理由として「卑賤の者へ養子に遣候は、実家にても其心得可レ有レ之事に候間、証文有レ之候とも取上無し」と云ふのであつて、恰も南畝の金曽木にある事由と相通じてゐる。但し例外として「然共、養娘格別及二難儀一候事を、養父母取計候はば可レ遂二吟味一候」とある。猶娼婦の身請に就いては記すべき事が残つてゐるが、大体を尽したので他は省略する。