婦人の×水を有毒なもの、汚れたものとする思想は古く世界的に行はれた迷信である。
殊に我国の如く清浄を尚んだ国風にあつては、婦人は×中は居宅を離れ、村落で共同的に建てた小屋に、日を送るやうに強ひられてゐた。
此の小屋を土地によつて他屋、ひま屋、汚れ屋、月屋などと称し、男子は言ふまでもなく出入することを禁じられてゐた。
然るにそれが、時勢の降ると共に村掟がゆるんで来て、後には、人の出入りの尠いのを却つて好いこととして、若い男女の密会所となつでしまつたのであつた。
草深い田舎で×水のことを別火と称し、同じ住宅に居ながら×水の婦人だけ土間に蓆を敷き、家人と別な火を用ゐて煮焚するやうになつたのは、密会所の弊害から、後に工夫された風俗である。
出産に就いての血忌が×水以上に厳重であつて、他屋で分娩した女房が、産後の肥立が悪くて死ぬといふに、亭主は見舞にも往けぬと云ふ悲劇は、各地で珍しくなかつたのである。