我国では、大昔は双生児を生むと、その一人を殺す習慣があつた。
これは双生児は、神罰だと迷信してゐた為めである。殊に男女の双生兄は情死した男女の生れ代りだと称し、俗に畜生腹とて賤しんだものである。
愛媛県大三島神社の神主の祖先は、或るやむごとなきお方の双生兄の一女を海に流したのが、同所に漂着した子孫だと伝へられてゐる。大正十年九月に、大阪市北区老松町の三原某の家で主婦と同日に下女が野合の子を生み、一家で二兒を育てると不幸が来ると、雇人に金を与へて下女の児を郊外の阿部野に棄てさせ、それが露顕して裁判沙汰となつたのは、即ち古い双生児の一人を殺した迷信に、縁を引いてゐるものと見て差支あるまい。